先日、上海帰りのYくんとの授業で、「昔はAKBとかチェックしてたけど、日本に帰ってきてからあんまり」と。
AKB48をチェックしてたのは、上海の小学校でクラスの話題についていくためだったんじゃないかなあと。素敵な分析。日本の東京の私立中学にはいって、AKBの話題が全く出ないということに、本当に驚いたらしい。ということは自分も話題のためにはまったふりをしていたんだなあ。という分析。
うちは親が厳しかったために、小学校のクラスの話題についていくためのテレビも許されずでした。別にみたいわけじゃなかったんだけどね。という切ない思い出を思い出しました。クラスの話題についていくために観たいとは言えなかったんだよね、、、汗。もうちょっと素直にこどものこころを親に伝えられていたらよかったと思うのだが、、。
だから、世の中の話題は狭い世界での共通の話題を提供するためにあると、あらためて認識。
最近、ある中学校にいったら、アナと雪の、、、やドラえもんの映画を使った教育ポスターがあったけど、これは、映画を見た人にしか通じない、、、。映画みてない人は話題理解できないよね、、、。なんか考えさせられました。
テレビやゲームをやりたいからこどもはやるのではなく、コミュニケーションのネタとしてということがあるんです。でもそんな理由がかなしくて、さみしくて、こどもはそうとは言えない場合が多い。
むー。切ない思い出でした。
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